青灰色
琥珀色の夏
常春の国セフィーロにも眩しすぎる陽光で暑くなる時がある。
風通しがよくなるよう、窓という窓を開け放した導師クレフの部屋も生暖かい空気で満たされていた。
常ならばにぎやかな少女の『あっつーい!!』
という叫びが聞こえそうなものだが、今日という日は静寂。
何故ならば彼女は夏期休暇前の大事な試験を控えていた。
『ウミ、少しは休憩したらどうだ?いつもお前が私に言うことだろうが』
苦笑いしながら、冷茶を置くクレフ。その言葉で、海は張りつめていた表情を緩ませた。
『ありがとう。でも今度の試験は本当に大事なの。内部進学するには内申点を稼がないと。』
『よく分からんが、希望するアカデミーに入るのに猛勉強するのはオートザムでも同じらしいな』
ファーレンで行われる官吏登用試験たる科挙も熾烈を極める。
チゼータは実権を握る王とは別に、宗教的に高位のものが絶大な尊敬を受けるという。
それぞれ形式は違うが、国を統率するものに高度な教育を求めるのはどこも同じなようだ。
『セフィーロだってそうでしょ?だってクレフが知らないことなんてないでしょ。』
そう言いながら口をつけた冷茶は微かに薬草の匂いがする。
心身の疲労を和らげるそれに気づいた時、ウミは素直な気持ちで彼の博識を称賛した。
しかし思案顔のクレフから返ってきたのは
『確かに導師というのはあらゆる現象や職種に通じていなければならない。
だが柱に限っていえば違うだろう。柱に必要なのは国を思う誰よりも強い心。
事実、私が生まれる前には読み書きが十分にできない柱もいたようだ。』
海は目を丸くした。
『そんなことって・・・』
『無知なまま、ただ柱としての務めに専念させるという、非人道的な考えだ。
もちろん、私が今までお仕えした柱にはできる限りの教育を授けた。
過去に学び、物語に安息を求めることは誰にだって必要だ。』
海はふっと、机の上の参考書を見た。蛍光ペンと付箋だらけのそれが、人によっては当たり前ではないことに言い様のない悲しさを感じた。
『あぁ、勉学を中断させてしまってすまないな。
私もまだ書類が残っているし、お互い夕食会までには一段落つけよう。』
クレフは勉強道具に視線を向けた海の態度をそのように解釈したらしい。
海もまた、そうね、と薄く笑って試験勉強に戻ることにした。
その時
『しかしウミ、その長さの髪では本を読むのにも難儀だろう。』
結ってやる。そう言って彼はさらさらと流れる髪に指を通した。
突然の行為に海は仰天した。
『え!?なに言って、そんな悪いわ!男の人にそんなこと』
『何を言う。髪の長さに男も女もあるか。私とて、お前くらいの長さだった時はあるぞ。』
『・・・』
海は絶句した。
確かにフェリオもラファーガも後れ毛を束ねている。
そういえばザガートに至っては足元までの黒い長髪だった。
この世界にとって、髪の長さは性差というより個性の一つとしてしか認識されないのだろう。
今日の海はいつものヘアバンドを忘れてしまい難儀していたのは確かだ。
だが今の海は慕う相手が美しい銀髪を靡かせていたという過去と、自らの体の一部を丹念に扱われるという現実に目眩がしそうだった。
時折、クレフの指先が耳朶に触れると、その場所から火花が散るように感じた。
首筋を優しく撫でるように、後ろ髪を掬うその繊細な手つきは官能的でさえあった。
それは永遠に続くようで一瞬の出来事だった。
パチン、と金属音がすると同時に彼の手はすっと離れた。
少し名残惜しく思いながらも、海は部屋の中に立て掛けてある姿見で自分の髪を見た。
耳の上を編み込まれた髪が後頭部で緩やかにまとめられていた。
そこには上品な琥珀色のバレッタが柔らかな光を放っていた。
『綺麗・・・』
『その髪留めも、昔私が使っていたものだ。よければもらってくれ。』
鏡の中で、クレフは満足そうに海を眺めた。
『そんな、でも、』
『気にするな。よく似合っている。』
その表情は本当に穏やかで、先程触れられた時よりも胸が高鳴った。
自分だけに見せる、安堵の表情。それが心の底から嬉しかった。
『クレフって博識なだけでなく、手先が器用で太っ腹なのね』
『それ以上言っても何も出ぬぞ。』
伏し目がちではあったが、喜びを隠しきれない表情だった。
琥珀色の髪留めは陽の光を反射して、
優しく笑った二人の声は広い部屋に何度もこだました。

