青灰色
エンペラー・グリーン
エメロード誕生話でクレフ視点。
オリジナルキャラが出てきますので苦手な方はご遠慮ください。
「ちょっと考察めいたもの」を読んでからの方がよいかもしれません。
エンペラーグリーン
それは日が暮れ始めた会議室でのことだった。
「この議案は次回への持ち越しと致しますが、次の議題は・・・おや?」
司会役の執政官が視線を開け放たれた窓へと向ける。円卓を囲んでいた10名ほどの人物たちも一様に視線を追った。
一羽の白い鳥がちょうど窓枠に降り立った。その羽は絹のような光沢を持ち、足首には手紙が赤いリボンで巻きつけられていた。鳥が羽を畳むのと同時に、一人の人物が勢いよく椅子から立ち上がった。
「・・・う、生まれたぞ。やっとだ。今すぐ・・・」
「陛下。」
王の浮き足だった声を、クレフは短く遮った。
「まだ会議は終わっておりません。私と交わした約束をお忘れですか?」
国で最高位の導師が、有無を言わさぬ、とばかりに横目で動きを制する。その場にいた全員が口調の冷たさに肝を冷やした。
一拍おいて、クレフは嘆息した。
「・・・私とて、喜ばしい気持ちは同じです。ただ、柱であるあなたにはまだ務めがあります。
セレナ公妃への慰問は私がこの会議の後に承りましょう。」
非情だけで、短慮を咎めたわけではないことは、彼自身が一番よく分かっている。王は先程立ち上がった時とは対照的に、静かに腰を下ろした。
セフィーロを統べる現在の『柱』、アルフォード王。
神官や高位の魔導師を数多く輩出する、この国一番の名家の中にあってもその「意思の力」の強さは傑出し、聡明さも兼ね備えていた。先代から柱の地位を継いだのが20代半ばだったため、姿こそは覇気に満ちた若者だが齢は70歳を過ぎている。50年に及ぶ治世は、天変地異も争いもない、穏やかなものだった。
だが長すぎる治世は『柱』の心を疲弊させる。
不老長寿に近い『柱』は、周りの肉親や友人を見送っていかねばならない。
その度に自らが存在する意味や孤独に苛まれるのだ。
その中にあって、今回の知らせは喜ばしいものだった。
王の家族は両親はもちろん、兄弟も既に亡くなった人物が多いが、特に可愛がっていた姪のセレナ公妃が無事に初産を終えたのだ。病弱な公妃が耐えきれるのか、王は心配のあまり政務が手に付かないことも多かった。クレフはその度に悪阻に効く薬湯を届けさせたり、お産が無事に済めば精獣に伝令させることを提案した。そして精獣の足に、女の子であれば赤いリボン。男の子であれば青いリボンをつけるよう予め決めておいたのもクレフだった。
その後、会議は予定通り終わり、クレフは部屋の隅に置かれた鳥籠に歩み寄った。
華奢な金色の細工が施された鳥籠の中には、先程現れた来訪者がおとなしく収まっていた。その足に手を伸ばし、結ばれていた手紙をほどく。
ざっと目を通し、クレフは安堵した。
「陛下、母子ともに健康そのものだそうです。心から、お喜び申し上げます。」
その場にいた全員が、クレフの言葉に唱和し頭を垂れた。
「導師、皆、ありがとう。
見舞いたいのはやまやまだが、私はこれから日没の祈りを捧げねばならない。
私の名代で祝いの品を届けてはくれまいか?」
「仰せのままに。」
長いマントを翻して退室する王と神官をクレフたちは静かに見送った。
『柱』である王は日の出、正午、日没、更には就寝前と一日に複数回、祈りの時間を設けている。その度に衣服を改め、手足や顔などを聖水で清めるのだ。加えてアルフォード王は貨幣制度の創設や暦の編纂といった実務にも積極的に携わっている。
いかに待ち望んだ慶事であっても、彼にはやるべきことがまだ多く残っていた。
クレフは一旦自室に下がり、用意してあった自分からの祝いの品を確認した。姫が好きな花や果物、王から預かった子供用の服を大きめのバスケットに収める。会議中こそ厳しい顔をしたクレフだったが、新しい命を迎える喜びはいつだって素晴らしいものだ。自然と唇に笑みがこぼれる。
バルコニーに出て、クレフは精獣のフェーラを召喚しようと杖を掲げた。その時、バルコニーの下から人のささやき声が聞こえた。
「あの、もしかすると、新しい姫君が次の・・・」
「しっ!これだけ平穏な世の中なのよ。滅多なことは言わない方がいいわ。」
どうやら年若い侍女が噂話をしているようだ。
その言葉が意味するものに、クレフは一転表情を曇らせた。だが頭を振って、もう一度杖を掲げた。
「・・・精獣召喚」
眩い光と共に現れたフェーラは、主の表情が曇っていることに敏感に反応した。クレフは苦笑いし、その鱗をやさしく撫でた。
「心配するな。さあ、行こう。」
森を二つ越え、大河が星の瞬きを反射しているのを横目に見た。そのほとりにある別荘の前にクレフは降り立った。
日がすっかり暮れている中で、その屋敷が放つ皓皓とした灯りは周囲を明るく照らした。
クレフが屋敷のものに訪れを告げると、騒々しかった場はさらに歓待の声で溢れた。
「導師!この辺境までよくおいでくださいました!」
「王だけでなく、私もこの日を指折り数えて待っていた。
これは王と私からの祝いの品だ。」
バスケットを預けると、クレフは奥の離れに通された。屋敷の喧騒から少し離れたその場所には、金髪の女性に寄り添う長身の男性、そして大きな揺籠があった。
幼い頃から病弱で、何かあると必ずクレフの薬湯の世話になっていた娘。それが今、こうして一人の母となっている。時の流れは、どんな魔法も凌駕することがある。奇跡の結晶のような光景にクレフは目が熱くなった。
寝台から身を起こそうとする彼女を、そのままで、と制してクレフは揺籠に近寄る。
「おめでとうセレナ。まずは体をいとえ。先程預けた祝いの品の中に、養生にきく薬草を入れておいた。」
「導師、おそれいります。どうぞ、顔を見てやってください。」
クレフは赤子を起こさぬよう、そっと揺籠を覗き込んだ。
赤子の顔は金色の柔らかな巻き毛に縁取られていた。ただ眠っているだけなのに、触れれば傷つけてしまいそうな、侵しがたいもろさと輝きを放っている。
小さな命は無条件の慈愛を呼び覚ます。クレフは目を細め、セレナに問いかけた。
「健やかなようでなによりだ。この小さな姫君の名を教えてくれないか?」
「まだ決まっておりません。導師、どうか名付けをお願いいたします。」
「私からも、お願いいたします。」
親となったばかりの二人の目には期待と信頼が込められていた。予想していた流れではあったが、クレフは少しためらう。名前は一生使うものだけに、慎重に決めたい。すぐに良い名が思い浮かぶとも限らず、幾数日かけてしまうこともある。
猶予を請おうと思ったその瞬間。
赤子の目がぱちりと開き、クレフと目が合った。その瞳は掘り出したばかりの宝石のようで深い緑色をしていた。無垢で、恐れを知らない、何かを見透かすような不思議な光を湛えている。
クレフは言いようのない感覚を覚えた。どこかで、この瞳を見たことがあるような、そんな既視感。生まれたばかりの赤子に会ったことがある訳がないのに。
「おや、目が覚めたようだ。さっきまではずっと眠っていたのに。まるで導師の訪れを待っていたようだ。」
赤子の父親が笑いながら揺籠を覗き込む。母となったセレナもくすくすと笑う。
その中にあってクレフは一人、衝撃に慄いていた。
(同じだ)
クレフは七十余年前、現在の柱たるアルフォードが生まれた時のことを思い出していた。
黒髪に彩られた赤子の顔、そしてクレフを見返す湖のような青い瞳。
姿こそは違うが、その瞳に秘められた力は同じだった。
『あの、もしかすると、新しい姫君が次の・・・』
『しっ!これだけ平穏な世の中なのよ。滅多なことは言わない方がいいわ。』
城の侍女たちが囁いていたのはこのことだった。
柱になれるのは誰よりも強い意志を持つもの。本来血統や、国籍さえも問わないにも関わらず、代々力ある神官や魔導師、そして柱がこの一族の中から生まれた。その理由はクレフでさえも知らない。柱となるには『道』を通り何らかの試練を受けなければならない、ただそれだけの秘密をきくためであっても、何代もの柱に仕え信頼を得なければならなかった。『魔法騎士』の伝承を正確にきいたのも、アルフォード王の御代になってからだ。
そしてそのアルフォード王の齢は70を越え、常人であればいつ寿命が尽きてもおかしくない。異常気象や災害といった『柱』の危機こそはないものの、幼い姫が次の柱候補なのではないか、クレフ自身その可能性を捨て切れなかった。
(この子もまた、国の礎となるのか。)
『柱』としての重責と一族からの期待に逃れられず、近しいものを弔ってゆく。誰かを愛する喜びも知らずに。これを犠牲と呼ばず、何になるだろう?
「・・・導師?いかがなさいました?」
若い父親の怪訝そうな声音に我に帰る。少なくとも今は誕生の喜びに水を差す場ではない。
「いや、名付けを、どのような名がふさわしいか考えていた。」
「お疲れでしたら、床の用意をさせますが・・・」
「それには及ばない。」
クレフは切れ長の目を一度伏せ、赤子を見ながら呟いた。
「・・・エメロード。」
「え?」
「エメロードという名はどうだろう。緑の瞳が、宝石のエメロのようだ。その宝石言葉は『幸運』と『清廉』。大伯父にあたるアルフォード王と、同じ韻を踏むのも縁起がよかろう。」
クレフの言葉に二人は微笑む。この国最高の賢者が与えてくれた、唯一無二の名前。早速二人は「良い名をいただきましたね、エメロード。」と語りかける。
親子三人が寄り添う美しい光景は、クレフの心を重くした。
多くのものに見送られながら、クレフは明け方近くに屋敷を辞した。
セレナの夫は惜しんだが、公務や後進の指導に忙しい身。昼間はアルフォード王を叱責した手前、このような時こそ厳格であらねばならない。
フェーラのつるりとした背中に乗りながら、クレフは先程の衝撃を反芻していた。夜風の冷たさは思考を明晰にするものだが、今夜ばかりは違った。
驚き、戸惑い、無力感。
否定しようとすればするほど、その混乱は深くなる。
国を導くはずの自分が、国の理に疑問を投げかける。あってはならないことだが、何代もの王に仕えてきたからこそ、その矛盾は誰よりも知っている。
間もなく夜が明ける。しかし自分の心が真に明けゆく日はくるのか。
こんな観念的なことを考えるとは、いつもの自分らしくない。そう苦笑いしながら、それでも、クレフは水平線から昇る朝日から目をそらせなかった。
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エンペラーグリーンはナポレオンが愛した色だそうですが、お話の中で使うのはなかなか難しい。
あとオリジナルキャラ出すなら、やっぱり車の名前だよね!と最近妙に車の名前が気になります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

